[雑談]雨の日には近くのスーパーで
雨の日や天気がはっきりしない日に、外出するってなんとなく億劫になってしまいますが、私は近くのスーパーに行ってみたりします。そのスーパーには、地域住民によるいらなくなったり、読まなくなったりした本の無料貸出読書スペースがあるので、ここで時間を潰したりします。
天気が悪い日はお客の入りがどうしても少なくなっているので、スーパー内部の店員さんの動きなんかがよく見渡せるので面白いですね。
今日はこんな本を読んでたりしてました。
焼肉屋の話だけではありませんが、かのファーストフードチェーンのセット販売のからくりなどを解説していて面白かったです。
なぜ、夕飯時のスーパーの陳列棚にしそやつま、それに造花の菊が一緒にラッピングされている刺身があるのかを考えると妄想が止まりません。
今日は、晩飯用にビールと値引きされた筑前煮を買って帰りました。
[雑談]健康診断とその後
先週に定期健康診断を終えまして、検査結果がどうなるのか。食事制限でメタボ解消の効果があったのかどうか楽しみです。しかし、今後もまた同じことで悩まされる可能性があるので、食事制限を継続することにしました。継続するにあたり、普段の食生活を変えてみることにしました。
変更点は以下のとおりです。
- にわとりの卵→うずらの卵
- 牛乳→豆乳
- 大粒の納豆→小粒の納豆
どうやら、卵・乳製品の摂取を控えたほうがいいということなので、ダウンサイジングとサードパティー品に鞍替えみたいな・・・
私はとうふも大好物なので、このままいくと大豆商品が純正になる日も近いですね。
うずらの卵は少し物足りなさがありますが、納豆やざるそばにはちょうどいいです。
[雑談]竹取物語の解釈・その2
[雑談]竹取物語の解釈・その1の続きです。
翁が金持ちになるという設定の不思議
この金持ちになるという設定が唐突すぎて、私としては意味が分からないところです。物語の初期に出てくる設定なので、以後の物語の伏線とも考えられますね。お金に困らないかぐや姫と翁というのが作者の願望だったような気がします。
子育てに苦心する竹取の翁・・・年齢と知*の逆関係
かぐや姫および翁であるおじいさんに比べて、物語全体でおばあさんの登場シーンが少ないと感じます。翁であるおじいさんがこうも年端のいかない年齢的にはまだ子供のかぐや姫に苦労させられる場面を物語に多く登場させるのか。この圧倒的な年齢差のためか、そもそも二人の価値観がうまく調和するはずがありません。おじいさんからしてみれば、じゃじゃ馬なかぐや姫を羈で縛ることが難しいし、かぐや姫からしてみれば、どこでどう知識を吸収したのかよく分かりませんが、成人になった途端に知恵を獲得しているわけで、おじいさんの言うことを聞くはずがありません。かぐや姫が年配者(特に男の年配者)のアドバイスや知識を当てにしていないことが、求婚者に無理難題を吹っ掛けるところからも推察できます。
ダジャレの作用その1
- 「はぢを捨つ」
- 「たまさかる」
- 「あへなし」
- 「あなたへ難」
- 「かいなし」
5人の求婚者にお題を与えた話のオチに上記の言葉を用いています。この辺がなんともお調子ものの発想なので、作者は男性なのかと考えてしまうところです。しかし、各言葉がこの物語を源とするのか、あるいはそれよりも前の文献を源としているのか解らないので、追求して調べてみるのも面白いかもしれません。「かいなし」は今でも偶に「この甲斐性なしが!!!」とドラマなんかで聞くことがあるかもしれません。
ダジャレの作用その2
風刺物語っぽくするにはダジャレを用いるのが昔からの慣習だったのでしょうか。直接かつ攻撃的な表現よりもこういう回りくどく、ねちねちした表現を使う場面を想像すると、あまりいい思い出がありません。
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ダジャレの作用が他にもありそうですが、今回はここまで。
[雑談]竹取物語の解釈・その1
途中だけど、思いつきだけで解釈してみます。
普段口頭でも使用しない言葉がたくさん出てきますが、ご了承ください。
まず、なぜこの竹取物語を取り上げようかと考えたのが、依然として以下の二つが問題として残っている(と私が思っている)からです。
- この物語の舞台となる場所はどこだったか?(日本起源とするならば)
- この物語の作者は誰だったか?
日本最古の物語であるためかいろいろ通俗説があるみたいです。1.に関しては京都だと山城地区あるいは向日市/長岡京市などの洛西地区が候補に挙げられていて、2.に関しては、この物語が生まれたとされる時代において、文学に秀でていた紀貫之が最有力候補とされています。
私は歴史に詳しくないので、細かいことはよく知りません。なので、気になるところから掘り下げてみます。
竹にまつわる表現について
- 「陽光が差し込む美しさ」
- 「朝露が滴る瑞々しさ」
などと形容される竹(林)ですが、なるほどそういった一面もあるのだなと今では関心することもあります。「陽光が差し込む」竹林を散歩すると、身も心も浄化されたかような気持ちになるときがあります。風が吹き抜けて、竹の葉がざわめき、ひゅるりと地面に落ちゆく。鳥達のさえずりさえ、竹間にこだましり、心地よい音色に変えてしまう。
「朝露が滴る」若竹をみるや、その生命の神秘性がいっそう輝いてみえる。
しかしですね、これらの表現からはエロティシズムを感じぜざるを得ない。なぜなら、陽光や朝露という自然現象に対して耐える静的なものとして竹を美化しているからです。忍耐を美とするのはそれほど外れてもいない日本人的な感覚だと思います。
「朝露が滴る」若竹なんていったら、もう目も当てられない。
美の象徴を女性とするなら、これらは男性的な視点の表現なのかもしれません。
なので、学校で習った当初は恋愛物語なんだというぐらいの認識しかありませんでした。
竹林の管理
人間が入れる山や公園の竹林とはいうと、それは人が手入れ・管理しているから、普段から入れるようになっているのです。竹は生長力が高いので、それで他の植物を圧倒し、空間を占有してしまう。ひいては土壌中の栄養も独占してしまう。一度竹の占有化が進めば、陽光は背の高い竹に遮断される。竹林というのは植生に乏しい森林環境といえます。竹林しかない植生は殺伐とし、陽光が上の方で遮断され、下では暗くじめじめとして、とても清々しい気分にはなれません。
このことから、竹を畏怖の対象とみなしていたとも考えられます。それを手入れする。うまく表現できませんが、何か儀式的なものがあったのかもしれません。ちなみに、かぐや姫は竹から生まれたとされるので、かぐや姫を畏怖の対象の化身とみなすこともできると考えます。
かぐや姫が月へ帰るという時間制限
かぐや姫が20歳になると月へ帰らなければならないという突然の告白をどうとらえるべきか?。20歳となると、今での感覚だと、立派な成人とみなすことができると思います。しかし、竹の生長力を比喩して、たった数ヶ月で娘になったという文言があります。そこから20歳までの間の若い女性としての長い期間をどうとらえるべきか?かぐや姫は求婚者に対し、無理難題を押し付け追い返そうとします。帝に対しても、月へ帰らなければならないといい、しかも普通の人間ではないところを見られてしまう(というか、あえて見せた?)。このことから、どんなことをしてでも男性を寄せ付けんとするこの態度であり、この若さのまま月へ帰ってしまうという行為に当時の男尊女卑に対するアンチテーゼを意味しているように思います。(実際に、当時の体制批判を暗に意味しているとも考えられています)。
姫がそのまま年を取るというのも、物語にどうかと疑問符がつくので、その替わりとして、竹取の翁を登場させたとも考えられます。
とりあえず
物語といってもあまり現実離れすると、興ざめするので、植物としての竹本来の解釈などを加味すると、作者は竹林の管理に苦心する様を近くで見聞きし、当時の社会あるいは体制に批判を持っていた女性あるいはその女性と親しかった何者か、ということと私は考えています。
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書いている最中に、子育てに苦心する竹取の翁という様でなにか意味があるのかないのかふと疑問に思ったので、また今度に。
[コンピューター]SQLiteのvacuumとreindex
Firefox 3の起動&ブラウジングの高速化が期待されるということで、vacuum/reindexしてみた(ubuntu 8.04, firefox 3.0.10,zsh)
効果がありそうな以下のファイルについて
- places.sqlite
- urlclassifier3.sqlite
- cookies.sqlite
- downloads.sqlite
手順(ターミナルから)
cd ~/.mozilla/firefox/????????.default/sqlite3 places.sqlite vacuumsqlite3 places.sqlite reindex
まとめてやる場合(*.sqlite全部)
for f in ~/.mozilla/firefox/????????.default/*.sqlite;dosqlite3 $f vacuumdone
バックアップの取り忘れにはご注意を。
参考
ではなく、近日(6月中)に発売されるみたいです。
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